法人情報

当公益財団の実施する「公益事業」としては、下記の事業があります。
① 地域住民の自立支援や共生社会の実現に向けた隣保事業
② 高齢者や青少年をはじめ地域住民の生きがいづくりや健全育成を通したコミュニティの活性化を目的とする文化・スポーツ・教育に関する事業
③ 部落差別をはじめとするあらゆる差別の撤廃に向けた調査・研究・啓発を通して、地域住民の人権感覚や人権意識の向上を目的とする事業
 
また、当公益財団の実施する「その他の事業」としては、下記の事業があります。
① 住吉隣保事業推進センターの管理・運営に関する業務
② 部落差別をはじめとするあらゆる差別撤廃運動に貢献する諸団体に対する援助活動
③ 当法人の事業を継承発展させるための広報・組織活動及び目的を達成するために必要な事業

 

隣保館建設まで
住吉の町を大きく変貌させていった核は隣保館の建設にあります。それまでの住吉地区の姿は、「寝た子起こすな!」の風評が根強く、自分さえしっかりしていればという思いで精いっぱい努力し、人よりも倍以上に頑張ってきました。しかし、地区全体を見たとき、劣悪な住環境と日給収入の不安定な仕事、不就学が多い教育水準の低位性など、個人の問題で片づけることはできない部落問題が横たわっていました。
 
目覚めたきっかけは、1953(昭和28)年に生じました。町民全体の連帯責任で運営されてきた共同浴場(青年湯)が使用に耐えられない状況にあったがそれを修理する金がない。そんな町の財政状況の中で当時の住吉区長から聞かされた朗報が「同和事業促進協議会に入ったら助成金がもらえる?」という話で、このことが住吉地区における運動と事業の前途に大きな光明をもたらしました。この年の9月に住吉地区協議会が生まれ、1956(昭和31)年4月には部落解放同盟大阪府連合会住吉支部が6人で結成されます。その反面、親兄弟・身内で対立し町内紛争という形で表面化します。 
 
その発端は、授産場の建設と利用を巡って、また地区で一番住環境が劣悪なところに同和住宅2棟が建設されたこと、生業資金貸付制度の獲得などによって解放同盟側が地域大衆の信頼に応え、組織の拡大伸長を達成したことに比べ、保守派にとっては自分たちの利害(小口金融ー十日一、頼母子などの高利貸付)が脅かされるなどの危機意識が一気に表面化したことにあります。 その象徴的な存在が隣保館の建設であり、隣保館を拠点にしたち域住民の自主的な立ち上がりが住吉地区を大きく発展させる原動力になったと言えます。
 
隣保館時代
1960(昭和35)年6月17日に住吉隣保館(鉄筋2階建)―1階~事務所・廉売所・診療室、2階~青年室・読書室・集会場、屋上~子どもの遊技場―が竣工、長年の地域住民の要望が形となって実現しました。階層別組織や定期講習会等が堰を切ったように活発な取り組みが始まります。
 
初年度は青年・婦人・地区外等の9組織の利用は、延べ186回で4337人の利用実績がありました。講習会は生花・和裁・舞踊など10組織が延べ568回で9946人となっています。地域住民の隣保館を舞台にした活動は数字以上の熱い思いが息づいていています。
 
また隣保館落成記念文化祭で住田利雄さんは、住吉隣保館の運営あるいは事業方針について、隣保館活動と言いますか、小地域の文化活動と言いますか難しいことは分かりませんが、小さい仲間づくりが大切だと思います。その話し合いの場をこの隣保館とし(中略)皆で魂を入れて貰うのです。それと共に、これは同和事業の一環として建てられましたが、広く近隣住民や住吉区全住民の隣保館として使用して頂き、少しでも広い範囲の人々と話し合い、相互理解の資として頂ければまことにうれしく(以下略) 」と語られているように、建設当初より近隣地域に開かれた施設として位置づけられているように町づくりの原則が貫かれています。なお、財団法人住吉隣保館は、1961(昭和36)年3月に認可許可を得ることができました。初代理事長には住田利雄さんが就任しました。
 
隣保館から解放会館(旧館)時代
1960(昭和35)年6月の竣工~1977(昭和52)年までの17年間は、運動と事業のすそ野が地域全体を網羅し町づくりの基礎を構築していきます。その過程は平坦な道のりでないことは創世期で述べたように親兄弟・親類の骨肉の争いまで引き起こし町内を二分しました。町内では1963(昭和38)年3~4月にかけて授産場の利用をめぐる争いから隣保館の占拠、同和会結成の策動などがありました。多くの苦難と闘いながらも町づくりに向けた取り組みは一歩ずつ前進を勝ち取り、全体計画の進展に大きな影響を持っていた摂津酒造が1972(昭和47)年に更地になりました。
 
階層別・要求別組織の拡大と町づくりの基礎である総合実態調査を専門家の知恵を借り、教職員の協力のもと住民自身の手で調査を完遂させ、科学的調査に基づく資料で専門家・当事者による討論を積み重ね増した。1973(昭和48)年マスタープランを作成し助役交渉の場で合意するという画期的な成果を上げました。

解放会館新館時代
1977(昭和52)年2月に竣工した新しい解放会館(現市民交流センターすみよし北)の竣工によりマスタープランに基づく公共施設の整備は大きく前進しました。青少年会館(付設体育館)も同時期に造られ、子どもたちの生き生きとした活動が展開されました。付設体育館も9割以上が周辺利用者で賑わいました。
 
町づくりでの公共施設は南北に配置され、解放会館を中心に乳児保育所・総合福祉センター(診療所)・生活協同組合(生協)の駅前店舗・幼児保育所が並びその周りを住宅が取りまいて、地域住民の生活に密着した形で誰もが利用しやすいようなっています。新しい解放会館になってからの初年度の利用実績は、昨年の26908人より1万人強増の38620人となり、旧館での狭隘が解消され同好会活動も可能となりました。
 
順風な町づくりも地域内外で無理な要求をする妨害活動も現れました。同和対策事業で建設される住宅予定地に「公園をつくれ」・「同和住宅が建ったら土地の値段がさがる」等で住民の利害を対立させた「アサヒ衛陶跡地」差別事件[1978年(昭和53)年]はその典型です。内では、同和会事務所の設置に対する抗議集会[1981年(昭和56)年]や11号棟の日照権をめぐる真願寺に対する抗議集会[1983年(昭和58)年]が起こっています。  
 
町づくりの取り組みは、周辺町会や学校・PTAとの共力で住吉東駅・神ノ木駅周辺を良くする会がつくられ「神ノ木地下道」[1988年7月(昭和63)年]の完成へと進みます。 
 
残念なことは、志半ばで住田利雄さんが永眠1986(昭和61)年1月、藤本時春さんが1990(平成2)年9月に永眠されたことです。
 
大阪市同和事業 促進協議会時代
1960(昭和35)年の開所より財団法人住吉隣保館が運営をになっていきた解放会館が35年の歴史に一旦幕を閉じ、1995(平成7)年4月からは、大阪市同和事業促進協議会(市同促協)への移管となりその下での運営になりました。しかし、全国の唯一の「公設置・公費(公管理)・民営」方式の形態を変えることなく引き継がれました。
 
財団法人住吉隣保館は、35年の運営実績と蓄積を生かし今後とも地元への還元と運営委員会での助言等で地区住民の期待に応え、再び財団法人住吉隣保館がその担い手としての使命を果たせるように頑張っていく方向が確認されました。

具体的には
①地元諸団体への助成
②教育・人材養成への助成
③福祉事業への助成
④解放会館運営委員会への助言
⑤貸衣装ニーズの調査
の5本の柱で活動を進めていくことになりました。
 
人権文化センター時代
1970(昭和45)年4月に解放会館に名称が変更されてから30年間に亘って親しまれてきましたが、より広く区民・市民を対象とした人権・同和行政の事業を展開していくために、2000(平成12)年4月に人権文化センターへと名称が変わりました。また「特別措置法」に基づく同和対策事業の終結により、市同促協はその役割を終えましたが50年の歴史を引き継ぎ発展させるために、2002(平成14)年4月に(社)大阪市人権協会として新たなスタートを切りました。同時に大阪市人権協会は、教育・福祉・人権・就労の25事業を委託するとともに、市内全人権文化センターの指定管理も受け管理本部のもとで運営されることになりました。住吉地区協議会も住吉人権協会に名称を変更しました。

この間、財団法人住吉隣保館を引き継いでこられた梶川國男さんが2006年(平成18)年1月永眠されました。その後、野村君一さんが理事長を引き継ぎました。
 
市民交流センターすみよし北時代
1995(平成7)年の市同促協への移管から15年の歳月を経て、2010(平成22)年4月から再び財団法人住吉隣保館が大阪市人権協会とともに市民交流センターすみよし北の指定管理を受け、運営を担うようになりました。

これまで財団法人は、
①住吉人権文化センター職員への研修助成 
②べんきょう会運営委員会への助成
③住吉誠友老人会への助成
④住吉識字日本語教室運営委員会への助成
⑤住吉自然体験活動推進実行委員会への助成
⑥住吉・住之江同和・人権教育推進協議会への助成等の援助を続けてきましたが引き続きこれらの事業を継続するとともに、財団独自に2名の職員を採用し、各種相談活動を実施しています。
 
また、飛鳥会問題以降、管理委員会の提言を受けた大阪市の方針は見直し方針を確定させ一般対策として実施してきたはずの事業まで廃止や削減で以て、一連の施策や事業を廃止され、3館の統廃合もその流れで実施されました。この結果、住吉の地においては、青少年会館は閉鎖されましたが、付設体育館については住吉支部と利用者団体の粘り強い要望の中で2010(平成22)年5月、運営協議会を立ち上げて利用を再開しています。その事務局にも財団法人住吉隣保館は物心両面の援助を行っています。
 
なお、2009(平成21)年9月、野村君一理事長に代わって友永健三さんが理事長に就任しました。財団法人住吉隣保館は、2011年で設立50年を迎えましたが、国がすすめている法人制度改革の流れを受けて、再度、公益財団としての許可をめざして精力的に作業を積み重ねた結果、2012(平成23)年3月、名称を変更し、公益財団法人住吉隣保事業推進協会として認可を得ることができました。
 
住吉隣保事業推進センター時代
2011(平成23)年12月、橋下市長が誕生、そのもとで市政改革プランが策定され、3館統合を受けて唯一残されていた市民交流センターについても、2014(平成26)年3月末で廃止することとなりました。部落差別を撤廃していくとともに、市民の世代を超えた交流と自主活動の拠点である市民交流センターの存続を求めた運動が活発に展開された結果、市民交流センターの廃止は、2年間延長されることとなりました。
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しかしながら、2016(平成28)年3月末に、市民交流センターも廃止されることとなりました。このため、住吉地区においては、公益財団住吉隣保事業推進協会が中心となり、多くの団体や地区住民を中心とした個人の寄付にも支えられ、民設置民営の隣保館を建設する取り組みが展開され、2016(平成28)年4月から住吉隣保事業推進センター(すみよし隣保館 寿)が開設されました。
 
住吉地区においては、住吉隣保事業推進センター(すみよし隣保館 寿)を拠点に、新たな人権のまちづくりがめざされています。

1.定款
(→定款の内容 http://www.sumiyoshi.or.jp/document/houjin_teikan.pdf
 
2.役員体制
理事長 友永 健三
評議員 大川 和裕
専務理事   平松直樹/梶川 田鶴子
理 事
遠藤 比呂通/川口 智/小住 光/住田 一郎/矢野 直雄/友永 香鶴子/友永 健吾/野村 政秋/長畑 卓治/平澤 徹/藤本 俊彦/福重 敏枝/前田 雅之/前田 秀男

幹 事 亀山 勝/森本 範人/濵田 豊/吉田 愛
顧 問 野村 君一/吉田 玲子 
(あいうえお順)