地域住民の自立支援や共生社会の実現、生きがいづくりや健全育成を通じて、人権感覚や人権意識の向上を図ることを目的として活動をおこないます。

公益財団法人 住吉隣保事業推進協会 大阪の駅近貸室(レンタルルーム)サービスなら すみりん

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住吉部落の歴史と部落解放運動、まちづくりの歩み

第1部「住吉部落の歴史と運動のあゆみ「同対審」答申・「特別措置法」まで)

住吉部落は、大阪市の南部に位置し、近くには住吉大社があります。中世の記録に、住吉大社の清掃を担った集団があったとの記録があり、住吉部落の前身であると思われます。江戸時代には、斃(たお)れ牛馬の処理をする「草場権」を持つ部落で、この取得権をめぐって近隣部落との争いがあったことが記録に出てきます。また、江戸時代末期に、雪駄の材料である竹の皮の値上げに反対する行動が17の部落によって取り組まれますが、住吉部落も加わっています。

明治・大正期の住吉部落は、雪駄づくり、下駄や靴づくりと修繕、青物や塩干物の行商、土木・建設業関係の労働者として生活を支えています。持ち家は少なく、借家で狭い部屋に多くの家族が暮らしていました。1918(大正7)年に生起した米騒動では、住吉部落の住民12名が首謀者に仕立て上げられ、犠牲者を出します。これに対する見返りのように、1923(大正12)年から11年間にわたって地区改善事業が行われました。

第2次世界大戦の敗戦後、共同浴場の改修のために1953(昭和28)年に大阪市同和事業促進協議会に加盟したことがきっかけで、1956(昭和31)年に部落解放同盟大阪府連合会住吉支部が結成されました。1960(昭和35)年には住吉隣保館が建設され、青年や女性が部落解放運動に参加していきます。

昔の住吉地区のギ心部(南北)

授産場での箱づくり

第2部「まちづくりの展開と解放運動の高揚」

1965(昭和40)年の「同対審」答申、1969(昭和44)年の「特別措置法」の制定という大きなうねりの高まりの中で、住吉地区総合10カ年計画実行本部が設置され、実態調査を踏まえた6つの原則に基づく計画が策定されました。その後、解放会館や青少年会館等の公共施設を地区の南北軸の中央に配置し、それを囲むように住宅建設(半数は3層住宅)が行われました。こうした取り組みと並行して、識字活動、奨学資金を活用した高校・大学への進学、車の免許や調理師免許の取得などによって、公務員や保育士、教員などに採用される人々を輩出しました。また、狭山差別判決の取り消しを求めた運動も活発に展開されました。

2002(平成14)年3月末、「特別措置法」が期限切れとなりました。住吉地区では、これまでの部落解放運動の経験を踏まえ、一般施策を活用したまちづくりをめざし、1999(平成11)年に社会福祉法人ライフサポート協会を設立し、地域自立支援センターなごみや小規模多機能型居宅介護きずなが開設されました。また、2003(平成15)年に設立された医療法人ハートフリーやすらぎでは、診療所による診療活動だけでなく、訪問看護ステーションや居宅介護支援事業所などが開設されています。

住吉地区総合10ヶ年計画実行本部を設置
(1973年4月)

第3部「住吉部落の現状と多面的なとりくみ」

住吉地区には、およそ500世帯,1,200人が居住しています。2002(平成14)年3月「特別措置法」終了後、住宅は一般公募で居住者を選考しており、住民の転出・転入が徐々にすすんできています。
2009(平成21)年に実施した「住吉地域労働実態調査」では、住吉地区には公務員が12%、地区内施設で働く人が 19%、民間で働く人が 35%、年金生活が21%、さらに生活保護世帯が13%であることが判明しています。これらの実態を改善していくために社会福祉法人、医療法人、特定非営利活動法人を中心に多面的なとりくみがおこなわれています。

2009(平成21)年、大阪市から市内の部落にあった3館を1つに統合する案が打ち出され、住吉地区では、人権文化センターが市民交流センターすみよし北として2010(平成 22)年 4 月から開設されました。すみよし北は、財団法人住吉隣保館(2012(平成22)年4月に公益財団法人 住吉隣保事業推進協会に名称変更)が指定管理を受託、様々な事業を展開し、年間 6 万人もの人々が利用していました。
2012(平成 22)年 4 月、大阪市の市政改革プロジェクトチームから、『施策・事業の見直し(試案)』が出され、市民交流センターについては、2014(平成 26) 年 3 月末で条例施設としては廃止するとの方針が示されました。2009(平成 21)年の 3 館を 1 館にしてから、わずか数年での突然の廃止方針に対して、多方面から市民交流センターの存続を求める粘り強い取り組みがおこなわれました。その結果、廃止時期を 2016 年 3 月末まで延長させることができました。
廃止延長の決定を受けて、住吉地区では議論を重ね、先達が守り続けてきた財産と多くの人々の寄付により、2016 年 4 月に住吉隣保事業推進センター(愛称:すみよし隣保館 寿)を開設しました。 今日、住吉地区では、住吉支部を中心に部落差別が撤廃され、全ての人が人として尊重されるまちをめざして新たなとりくみに挑戦しています。

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夏休み宿題やろうDAYで昼ごはんを作る様子

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歴史資料データベース

公益財団法人 住吉隣保事業推進協会が調査収集した歴史資料を一部公開しています。

住吉をはじめ全国の部落解放運動を牽引してきた故大川恵美子さん。彼女には運動家としての顔以外にもいくつかの顔がありました。なかでも絵の才能に長けていた彼女は、住吉部落の昔の暮らしぶりや仕事などを描き出し、手がけた作品は108点にのぼります。

財団法人住吉隣保館(公益財団法人住吉隣保授業推進協会の前身)の結成に尽力し、初代の館長となった住田利雄さん。財団法人のみならず大阪市内や府内、さらには全国における部落解放運動において、彼が残した功績は大きいものでした。この功績の裏には住田さんがもっていた記録へのこだわりがあげられます。その記録には住田さんが1952年から1986年に亡くなるまでに、肌身はなさず手にしていたカメラによる42,000枚以上の写真記録があります。この目録では、その内の一部を紹介します。

あきらかになった資料件数は合計281件。そこでは仕事に関する民具が多く、それは雪駄や下駄、さらに靴直しに必要となる原材料やカンナなどの道具であり、またそれは行商に必要となる天秤棒やチギ、さらに大八車などです。これら民具を通して、当時の住吉の人びとが、その時々の状況に応じて道具を改良し、厳しい生活を乗り切るために工夫していたことを伺えます。

公益財団法人 住吉隣保事業推進協会(略称すみりん)は、6つの異なる規格からなる500点の映像記録データを所蔵しています。そこでは住吉におけるまちづくりや教育、福祉に関連する人びとの取り組みが克明に刻み込まれています。とりわけ、176点ある8ミリ・フィルムに関しては、そのうち69件をデジタル化して保存しており、すみりん事務所にて閲覧ができるようになっています。

住吉地区に関する実態調査に関する目録の作成及び主要調査資料の解題作成をおこないました。目録作成に際して、①公益財団法人 住吉隣保事業推進協会に所蔵していた報告書等資料、②「住吉地区資料の目録データ(浅香人権文化センター保管)」、③大阪市立大学学術情報センター、④部落解放・人権研究所、⑤京都部落問題研究資料センターのデータベースを用いました。それらの中から住吉地区に関する調査資料の収集と整理・統合を行いました。作成した調査関連目録の内容としては130点程になります。

(大阪市立大学人権問題研究センター作成・公益財団法人 住吉隣保事業推進協会等による助成)
住吉地区を中心とした部落解放運動、同和事業、隣保館活動、人権協会、同和教育研究協議会、故住田利雄さんの所蔵資料等2090件の目録です。

公益財団法人住吉林逋事業推進協会が保有していた住吉地区に関する資料、部落解放解放運動に関する資料、大阪市同和事業促進協議会に関係する資料等を2017年度から2019年度まで資料整理をし目録を作成したもの。資料点数は4403点。

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日曜・祝日、12/29~1/3

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